竹島問題の歴史

27.9.08

1899 - Oct 10 - 松本有信「軍艦摩耶 報告書」

明治32年(1899年)9月 25日、在元山領事館外務書記生、高雄謙三は鬱陵島で樹木を盗伐する日本人について注意する為に、現地へ赴きます(1899 - Oct 4 - 高雄謙三「鬱陵島出張復命書送付件」)。以下は、高雄が乗船した軍艦摩耶の乗員、海軍中尉古川鈊三郎による報告書を、「摩耶艦長・(海軍中佐)松本有信」の名前での報告書として、海軍大臣・山本権兵衛から、外務大臣・青木周蔵宛てに提出されたものです。外務省外交史料館にある「鬱陵島に於ける伐木関係雑件」(外務省記録3-5-3-2)から書き起こして下さったmatsuさんによると、pacifistさんの紹介していただいた古川のものよりも、やや字が読みやすく、またポストされた写真からは読み取れなかった文字も読むことができるそうで、改訂版として出しておく、とのことです。

報告
九月二十五日、視察ノ命ヲ受ケ、鬱陵島南陽洞ニ上陸ス。同地ニハ、組長トモ称スベキモノハ、島根県人天野源蔵外一名アリ。就中、天野ハ五年前ニ来島シ、内部ノ事情ニ通ズト聞ク。由テ同人ニ就キ聞知シ得タル處、大要左ノ如シ。

鬱陵島
一 広襄及人口 本島ハ周囲一三里アリト称スト難ドモ、実際較之ヨリ小ニシテ、島内峻山屹立シ、海岸ハ陡岸ニシテ、殆ンド平地ト称スベキモノナク、處處ニ少許ノ砂浜ノ存スルアリテ、波穏ナルトキハ、端艇ヲ着岸スルコトヲ得ベシ。
本島ニアル朝鮮人ハ、戸数五百、人口二千内外アリト難ドモ、彼等ハ各其開墾セル畑地ノ附近ニ住スルヲ以テ、家屋ハ谷間、若シクハ山腹ニ於テ、各所ニ散在シ、其中、較較、村落ノ形ヲナスモノ、八個アリ。而シテ、現今本島ニ在留スル本邦人ハ、老若男女相合シテ百名内外ニシテ、本年五六月頃マデハ、百五十名内外アリシト云フ。是等ノ本邦人ハ、前記ノ部落内ニ割居ス。其名称人数等、大約左ノ如シ。

村落名称 位置 戸数 人数
南陽洞  南部 四 七
通亀尾  同  三 九
東洞   東部 一五 三十
茂洞   同  二 三
竹岩   北部 一 三
錐山   同  一 四
玄浦   同  一(大ナルモノ) 二十
昌洞   西部 二 八

二 気候及風土
本島ハ、寒暑共ニ酷烈ナラズ。毎年、四月ヨリ九月マデ偏南風多ク、十月ヨリ三月マデ偏北風多ク、殊ニ十一月頃ハ北西風強ク、降雪ハ十月下旬ヨリ三月下旬ニ至リ、山上ニハ五月尚ホ、積雪ノ存スルアリト。
土地、極メテ健康ニシテ、天然痘ノ外、疫病等ノアリシコトナシ。彼ラハ之ヲ水質ノ良好ナルニ帰スト云フ。

三 産出物 
朝鮮人ハ専ラ農ヲ業トシ、大豆ヲ主トシ、麦・粟・稗・馬鈴薯等、之ニ次グ。而シテ大豆ノ収穫ハ、毎年平均三四千石アリト云フ。他ノ穀類ハ、彼ラノ常食トスル所ニシテ、平年ニアリテハ、不足ヲ告グルコトナク、又、或ル村落ニアリテハ、二隻乃至数隻ノ小舟ヲ有シ、僅少ノ漁猟ヲナスモノアリト云フ。島内、殆ンド鳥獣ノ棲息スルナク、稀ニ山猫、鳩等ヲ見ルニ過ギズト云フ。

四 糧食及清水 
糧食ハ、各村落、至ル處、只少量ノ鶏、及鶏卵ヲ得ベク、其価、亦廉ナリ。
淡水ハ、各所ニ河流ノ存スルアリ。水質善良ニシテ、旱魃ノ患ナシト云フ。現ニ、南陽洞ニ於テモ一清流アリ。且、清泉ノ湧出スルヲ見タリ。

五 島監 ハ、即チ島司ニシテ、裵季周ナルモノ其職ヲ奉ジ、本島ヲ管轄ス。現今、東洞ニ住ス。同人ハ昨年五月、本邦ニ至リ、敦賀・松江等ヲ巡視シ、本年五月帰任セリ。
裵季周ハ、四年前、島監トナリタルモノニシテ、性質温良、少シク日本語ヲ解ス。以前ハ茂洞ノ人、島監タリシモ、或ル事情ノ為メ人民ヨリ悪ミヲ受ケ、遂ニ殴殺セラレタリト云フ。

六 交通  近来、軍船ノ来リシコトナク、又、汽船ノ便ナク、朝鮮船ハ、時々、竹辺附近ヨリ来往スルコトアリ。
本邦人ハ、各組ニ百石乃至二百石積ノ和船ヲ有シ、多キ時ハ、一ケ年ニ三回ノ往復ヲナスコトアリ。大抵、春時ハ三月頃来リ、直チニコレヲ陸揚ナシ置キ、五月頃出帆シ、八月頃来リ、九月頃出帆スルヲ常トスト。

七 本邦人ノ来歴   本島ニ現住スル本邦人ハ、多クハ昨年三月以降、渡来シタルモノニシテ、四五年間本島ニ在留セルモノ、極メテ僅少ナリ。而シテ彼等ハ、元ト船乗ヲ業トセルモノニアラザレバ、一攫千金の●利ヲ博サントスルノ投機者輩ヲ多シトス。而シテ島根県人最モ多く、間々、鳥取、若クハ、大分附近ヨリ来ルモノアリ。

八 本邦人ノ生活  彼等の家屋、納屋ノ如キモノニシテ、糧食品ノ主ナルモノハ、和船ニヨリテ輸入ルモノニシテ、平時ハ不足ヲ感ズルコトナキモ、海上不穏等ノ為メ、和船ノ沈没等アリシ為メ、大ニ欠乏ニ苦シミタルコトアリト云フ。而シテ、是等和船ハ、大抵、伯耆堺、石見国濱田ヨ
リ来ルモノニシテ、果シテ密輸出ヲナスモノタルヤ、或ハ他ニ目的地ヲ詐リ、輸出シ来ルモノタルヤ、知ル能ハズ。

九 本邦人ノ職業 島内ノ樹木ヲ採伐シ、和船ニヨリテ之ヲ本邦ニ輸出シ、其多クハ、敦賀・博多・馬関等ニ之ヲ揚陸ス。其樹木ハ、槻及松ノミニシテ、槻ハ現今、其最大ナルモノ長サ七尺、巾三尺、厚七八寸ナルモノアリ。勿論之等ハ海岸ニ於テ得ル能ハズ。松ハ朝鮮人ニ販売スルモノノミニシテ、雑用ニ供スト云フ。
大豆ヲ買収シ、之ヲ本邦ニ輸出ス。蓋シ、本島産出額ノ大半ハ、本邦人ノ手ヲ経過スルモノナリ。
黐樹ヨリ黐ヲ製造ス。現ニ南陽洞ニアリテモ、之を製造シアルヲ見タリ。而シテ、此樹木ハ、已ニ採伐ヲ尽シ、今後之ヲ製造シ得ル見込ナシト云フ。
雑貨・金巾・麻布等を朝鮮人ニ販売ス。

以上ノ職業ニ関シ、彼等ハ曰ク、初メ朝鮮人ハ濫ニ樹木ヲ焼キ、畑地ヲ作ルヲ常トス。故ニ本邦人ハ、徒ラニ是等ノ樹木ヲ焼却センヨリ、之ヲ採伐スルノ利アルヲ説キ、朝鮮人ト共謀シテ、之ニ着手シタルモノナルモ、後、遂ニ乱伐ヲ企ツルニ至リタルナリ。而シテ、現今ハ、本邦人、島監ト協議シ、樹木ヲ採伐シ大豆ヲ買収スル等、皆、見積利益金ノ百分ノ二ヲ税金トシテ前納シ(昨年迄ハ百分ノ五ナリシト云フ)、之ヲ行フト。又、本邦人ト朝鮮人トノ間ハ、近来、絶テ争闘等ノコトナク、極メテ円滑ナリ。又、彼等ハ、雑貨、其他、米等ヲ得ルノ便アルヲ以テ、本邦人ノ在留スルヲ喜ブ如シト。
本邦人間ノ関係ハ、数多ノ組ニ分レ、各組ニ組長ヲ有ス。各組長ハ、互ニ連絡シテ規約ヲ設ケ、以テ競争・軋轢ノ弊ヲ防ギ、之亦、円滑ナリト。

6 comments:

  1. kaneganeseさん

    ありがとうございます。

    3つの資料ともに、まだ「生煮え」の段階のもので、修正をしていかなければならないと思いますが、議論のきっかけになれば、と思います。

    まず、松本摩耶艦長の報告の日付は、海軍大臣から外務大臣あてに報告されたのが、10月10日になっていますので、そちらのほうがよいと思います。というより、本来同一の資料ですので、一本にまとめたほうが良いとおもいます。松本艦長報告を古川中尉報告の後ろにつけるようなかたちで。

    なお、古川報告の最後のほうにある「円満」は、松本報告と同じ「円滑」のようです。pacifistさんの言うように、両者の関係を示すキーワードですね。

    このように、両者ちがう文言があるわけではないので、「改訂版」を主にして、ひとつにしたほうが、よいと思います。



    高雄報告は、竹島問題を考える時の基礎となる一次史料の一つだと思います。
    本来は、原文(漢字カタカナまじり)で提供されなければいけないものだと思います。これは、あくまで「翻訳」ですので、議論の時の引用には注意が必要です。

    当時の欝陵島の様子がわかる貴重な資料です。

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  2. matsuさん

    お時間ある時で結構ですので、原文画像をスキャンしていただけ無いでしょうか?よろしくお願いいたします。ご指摘の箇所、修正しておきます。古川報告とまとめる案は、最初、私もそうしようと思ったのですが、思ったより長くなってしまうので、説明を付けた上で分割しました。

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  3. 漢字コードを紹介します。

    陡 (Unicord:9661)
    黐 (JIS:7357, Unicord:9ED0)

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  4. 小嶋日向守さん

    ありがとうございました。訂正しました。

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  5. Sorry, I'm always putting too much importance on subtle distinctions.

    廣袤
    奇利

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  6. ありがとうございます。

    私には直せないので、Kaneganeseさん、お時間がありましたら、訂正お願いします。

    「摩耶」原文も、はりつけていただいて結構です。

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