竹島問題の歴史

7.5.08

1899年9月23日 - 皇城新聞記事「鬱陵島 事況」

Gerryの投稿の日本語訳です。原文はこちら↓(English) 原文画像あり
"Hwangseong Sinmun" (皇城新聞) 1899 Sep 23: Ulleungdo

以下は、韓国皇城新聞1899年9月23日の記事、「鬱陵島 事況」の私の訳です。記事はまず、鬱陵島の全般的な情報を述べ、次に釜山の税関職員だったフランス人ラポルトが、1899年6月末に島の日本人移住民と商人の問題を調査した報告書の、サマリーを載せています。この記事は、9月16日に大韓帝国外部(外務省)が駐韓国日本代表に、鬱陵島の日本人を排除するように要請した後で書かれたと思われます。

この記事は竹島・独島論争において、最初の次の2行があるので特に重要です。

蔚珍の東の海中に鬱陵と呼ばれる島が一つある。その付属の小六島のうち、もっとも顕著なものは、于山島竹島である。

この2行が、竹島論争において特に重要な理由は、鬱陵島の附属島のうち代表的な(最著)島を于山島竹島という二つの名前を列記して表している点です。つまり、1899年のこの記事は、「鬱陵島の附属島のうち代表的な(最著)島は、竹島《日本名竹嶼)という鬱陵島の東沖約2キロに浮かぶ島で、その島は別名于山島である。」と意味していると考えられます。このことは、于山島が現竹島(Liancourt Rocks)の古名であるとの韓国側の主張を、またもや否定する証拠であると言えます。

ところが韓国の歴史学者は、問題の箇所は一つの島を二つの名前で表現したのではなく、二つの別個の島を表していると主張しています。つまり、「附属小六島のうち、最も顕著なものは、于山島と竹島(日本名竹嶼)である。」という意味だというのです。しかし、 "于山島竹島"を"于山島と竹島(竹嶼)"と訳すことの問題点は、 この記事は 他の部分では名詞を羅列するときには、"と (과/와) "や読点(、)がよく使われているのに、"于山島竹島"では"于山島と (과/와) 竹島"のように、二つの名称を分割するための言葉"と (과/와) "が使われていないのです。例をいくつか挙げてみます。

所産은 柴胡, 藁本, 石楠, 香木, 槻木, 蘆竹
産物は柴胡、藁本、石楠、香木、槻木、蘆竹

香木과 蘆竹
香木と蘆竹

船匠商客과 漁人耕夫가
船大工商人と漁師農民

薯와 豆
芋と豆

上年所穫이 薯 二萬包, 大麥 二萬包, 黃豆一萬包, 小麥五千包이오
昨年の収穫は芋二万袋、大麦一万袋、黄豆一万袋、小麦五千袋

材木은 老年巨杉과 各種貴重寶木이 亦多하고
材木は巨木の杉などの各種貴重材が多数

注意して頂きたいのは、上記の例において、3つ以上のものを列挙するときには読点が、二つのものを列挙するときには"と (과/와) "が使われていることで、従来の古文献で通例であった句読点無しの列記を止め、近代的な句読点法を採用しようとしていることが窺えます。つまり、もしこの記者が于山島と竹島(竹嶼)と二つの別々の島であると表示したかったならば、これらの例のように"于山島竹島"のかわりに"と (과/와) "を使用したに違いありません. (例 : 于山島와 竹島)

もちろん、複数の名詞を分けるのに読点が使われていない例も散見されます。しかし、その場合はそれぞれの名詞が意味的に同じか、もしくはまったく違うものか、いずれにせよ名詞間に曖昧さがないのです。しかも、こうした読点や"と (과/와) "が無い例は全て記事の後半、大韓帝国内部(内務省)に提出された報告書、つまり外国語で書かれた文章を官僚が独自の方法で訳したものの要約の中でのみ見受けられるのです。この記事を書いた記者はおそらく内務省の翻訳をそのまま書き写したのでしょう。

"于山島竹島"が2つで無く1つの島を指していることの更なる証拠として、鬱陵島を韓国の江原道の郡の一つに定めた、1900年の大韓帝国勅令第41号が挙げられます。その中では、竹島(竹嶼)は鬱陵島の附属島のひとつとして挙げられていますが、于山島は名前がありません。そのことはつまり、于山島が単なる竹島(竹嶼)の別名であることを示唆しており、韓国の古地図や古文献でもそのことが確認できます。

いずれにせよ、たとえ"于山島竹島"が二つの個別の島を指していたとしても、どちらの島も現竹島(Liancourt Rocks)を指していたことはありえません。というのも、現竹島(Liancourt Rocks)は鬱陵島の最も顕著(最著者)な隣接島ではないからです。実際、現竹島(Liancourt Rocks)が鬱陵島から見えることはめったに無く、稀に気候、天候条件がすべて整った日に高所に登った場合にのみ、ようやく確認できる程度のものなのです。現竹島(Liancourt Rocks)は鬱陵島の東南92kmという離れた距離にある単なる小さな岩礁で出来た島嶼の集まりに過ぎないからです。このような島嶼が鬱陵島の"最も顕著な"隣接島として挙げられるはずがありません。

また、記事では"アシカ(可之)"が"昔は(古에)"鬱陵島に生息していた、と言っており、つまりアシカが1899年にはすでに鬱陵島から消えていたことがわかります。現竹島(Liancourt Rocks)では1899年の時点ではまだアシカが沢山生息していた訳なので、この"アシカ(可之)が昔は(古에)鬱陵島に生息していた"という表現は、この記事の于山島が現竹島(Liancourt Rocks)の事を指していないという、更なる証拠と言えます。

以下にこの記事の翻訳を挙げます。もし間違いを見つけたら、コメントをいただければ幸いです。

別報

鬱陵島 事況

蔚珍の東の海中に島が一つあり、鬱陵という。その附属小六島のうち、最も顕著なのは于山島竹島だ。大韓地誌によれば、鬱陵島は古代の于山国で、広さは百里で、三つの峯が聳えている。

産物は柴胡、藁本、石楠、藤草、香木、槻木、蘆竹だ。土地は大麦に適している。昔は、"可之"と呼ばれる角の無い牛のような水獣(アシカ)が生息していた。(現在?)霍鳥と呼ばれる海鳥も生息している。

島に住む人は少なく、そのため政府は税金の徴収を免除していた。三年ごとに近くの地方官が選任され、島の状況を確認するために派遣されて、香木や 蘆竹を持ち帰って王に献上してきた。

1883年に朝廷は金玉均を東南諸島開拓史兼捕鯨使に任命し、白春培を従事官に任命した。彼らは該島の開拓事務を任されたが、翌年の甲申事変により任務を全うできなかった。その後1888年に(島民の)徐敬秀が越松萬戸(将軍)に任命され、島民人口増加の促進と外国人の材木の違法伐採を防止する任務を請け負った。しかし、徐は翌年大きな効果を挙げることが出来ないまま死去した。

開国504年の1895年、内部(内務省)は住民の裵季周を島監に任命し、島の管理を行わせた。本年春、裵は「最近になって多くの日本人が流入し、樹木を切り倒し、島民の生活を犯し、迷惑をかけ問題を起こしている」と報告し、政府に法律を設定して防護することを求めた。そこで内務省は税関の総税務士、John McLeavy Brown卿(柏卓安)に、西洋人を鬱陵島に派遣して状況を調査するように要請した。

報告書の概要は次のとおりだ。

鬱陵島は二百里程のところにあり、約75平方里ある。全島中耕作地は多く無く、海浜から山嶺まで鬱蒼とした森に覆われている。山の高さは4000フィート(英尺)ほどで、岸から三里内の水深は6000から9600フィートだ。

島の居民は男女300戸で、数十年来、船大工や商人と漁師、農民が少しずつ来島して住み始めた。海岸はの水深は大変深いため、漁業は収益が無く、海藻の出荷は年に2000擔程になる。

土質は肥沃で、肥料は必要ないが、収穫を増やすために木灰がすき込まれる。大麦と小麦が春に、芋と豆は秋に収穫される。昨年の収穫は芋二万包、大麦二万包、黄豆一万包、小麦五千包だった。土地の傾斜がひどく、稲作はできない。材木は巨木の杉などの各種貴重材が多数ある。槻木、香木、柏子木、甘湯木(モチノキ)なども産出する。

本土(大陸)との通商はとても少なく、稀に食料品、煙草、布製品など数袋の物資の輸入があるのみである。輸出は海藻が主であるが、材木やたまに裝(?)もある。

海岸のアシカ峰や岸壁の合間に、100フィートほどの小湾がある。そこで日本の船が米、塩、甕、日本酒、毛布、木綿、ケロシン、マッチ、傘などを輸入品として降ろしている。豆や麦と言った輸出品に加え、全島各地から伐採された材木が(正当な?)対価を払われることなく船に積載されてていく。

日本人が計画的に居住地を作り、(全体で)200名ほどが現地で生活している。現地住民の生活を犯し、上に述べたのと同じような弊害がある。農民や商人は本来免税されているが、島監が海藻の10分の1、材木は船一隻あたり、葉一百兩を徴集している。日本人が商品を売った場合、2%支払うが、納税はしない。

本年9月、内部(内務省)は右の報告に基づき、外部(外務省)に対し、駐ソウル日本公使に状況の改善と僭越日本人の召還を要請するよう要請した。彼等に通商の禁止を約束させ...(最後の一文は不鮮明な為、解読が出来ていません。)

6 comments:

  1. Anonymous7/5/08 19:10

    GJ!!!
    kaneganese

    ReplyDelete
  2. Thank you, Gerry & ponta

    ReplyDelete
  3. Anonymous7/5/08 23:27

    kaneganeseさん

    日本語翻訳、ありがとうございました。

    でも、この日本語訳の原版の英語は、「ひとつまえ」の英語版のもので、そのあとに私なりの疑問点を書いてお送りしたものがありますので、(コメントの最後のほうにあります)、チェックしていただければ幸いです。


    こまごましたところも多いのですが、
    裵季周が内部に報告した「本年春」は、この記事の年でもある1899年であること。
    そして、材木を搬出していた日本人たちが「金を払わずに」いたかどうかは、この時点での鬱陵島の歴史を考える時に重要なことだと思います。

    英語は、すでにGerryさんに直していただいています。

    でも、Gerryさんに「却下」されたものもあり、それはGerryさんのご判断だとは思いますが、kaneganeseさんの目でもう一度再検討していただけないかなあ、と思う部分もあります。(笑)

    ・・・・・・・・・・・・・・・
    さて、日本語になったものを見て、あらたに気づいたことがありますので、以下に書きます。

    古에、牛形無角한 水獸가 有하니 名曰可之오、海鳥가 有하니 名曰 霍鳥ー러라

    ”there were water animals that looked like cows without horns that were called “gaji” . There are also seabirds that are called "gwakjo" .”

    「昔は、"可之"と呼ばれる角の無い牛のような水獣(アシカ)が生息していた。霍鳥と呼ばれる海鳥も生息している。」

    ひとつは過去形にし、ひとつは現在形にしていますが、これは対句とみるべきで、同じ引用の中で両者の時制を違えるのは変だと思います。
    しかも、これは、アシカはもう鬱陵島にはいないんだ、ということを言って、冒頭の論文の根拠になっている重要な部分でもあります。
    古에、をアシカにだけかけるのは無理ではないでしょうか?


    それなら両方とも過去形にすればよいかというと、
    すぐあとの「霍鳥」は、翌年(1900)禹用鼎「鬱島記」に出てくる「鶴鳥」と同じ鳥ではないかと思います。いわば鬱陵島の名物であり、この記事の時点でもまだ現存していると思います。

    若或値災年 則幸有「鶴鳥」與茗夷草 可免飢餓 此是上天好生之德 若有意 而生此物於此土耶. 「鶴鳥」則鷹喙 而鳧足毛皜而鳩 大晝則翶翔乎海面 啄食魚種 暮則歸於山間而穴處 人欲捕得用火山中 則向明來集 因以捕獲全不費力 味如鳧肉
    而尤佳茗夷 則一莖兩葉 莖如蒜穗 而葉如玉簪 其花如葱穗之種 而味亦如之
    盖以此禽此草 經年喫過 亦無飢荒之色 甚異事也.



    さて、以下、また、実にこまごまとしたところを書きます。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・
    特報   →別報?(わざとそうされたのかもしれませんが)

    彼らは該当の開拓事務を任されたが  →「該島」 この島の

    任務を全うできなかった。  
    泰效치못하였고  泰→奏
     大きな効果をあげることが出来なかった。(同じかな?)(英語はOK)


    その後1888年に徐敬秀が越松将軍に任命され、島への移住民の促進と外国人の材木の違法伐採を防止する任務を請け負った。

    →「島民」徐敬秀とあり、彼が他所から来た人間ではなく、鬱陵島の人間だったことは大事だと思います。(英語はOK)

    越松将軍→「越松萬戸」は歴史上の固有名詞であり、そのままあげて、カッコなどで説明したほうがよいのではないでしょうか。


    該島人民을 繁殖하고
    「島への移住民の促進」でいいのかどうか、疑問があります。
     そうかもしれませんが。


    任務を請け負った。
    →王様が命じて、そうさせた、というニュアンスで、徐敬秀が主体的に(?)「請け負った」というのは、やや違和感があります。


    その年の春、裵は「多くの日本人が流入し、木材を伐採し島民に進出、接近して問題を起こしている」と報告し

    その年の春、  →上記のとおり、ここは「本年春」で1899年です。
    本年春에 裵季周가 內部에 來報하되 近者에 日本人이 夥數流入하야 樹木을 斫伐하고 居民을 侵擾하니

    近者에  最近になって

    木材を伐採し 樹木을 斫伐하고(=樹木を切り倒し)(同じかな?)

    居民을 侵擾하니
    「島民に進出、接近して問題を起こしている」は意味不明 どう訳しましょう?
     「島民の生活を犯し、迷惑をかけ」ぐらいでしょうか

    英語は良い翻訳だと思います。
    Japanese had recently been arriving in large numbers and were cutting down trees, encroaching on residents, and causing disturbances



    そこで内務省は釜山の税関の英国人総税務士、John McLeavy Brown卿(柏卓安)に、西洋人を鬱陵島に派遣して状況を調査するように要請した。

    which prompted the Interior Ministry to request Sir John McLeavy Brown, chief commissioner of the Korean Customs Service, to dispatch one Westerner to the island to investigate the situation there
    內部에서 海關總稅務士 柏卓安에게 委託하야 西人一員을 派送하야 該島情形을 査報케 하였더니

    McLeavy Brownは、ソウルにいました。「英国人」も、いわばGerryさんの注記で、ここも原文に忠実に英国人はとったほうが良いと思います。
    釜山にいたのが、ラポルトというわけです。


    そのあとの、
    A summary of the report follows (其報告의 槪況이 如左하니):
    も日本語で入れておいたほうが良いと思います。



    収穫を増やすために木灰がすき込まれる。
    but wood ash is plowed into the fields to achieve two harvest a year
    (樹叢燼灰로 覆耕하야 一年兩熟을 得하니).

    →これは、森林を燃やして肥料にする、焼畑のようなことが行われていたのだと思います。

    大麦と小麦が春に、芋と豆は秋に「植えられる。」
    →これは、「収穫される」ではないでしょうか?


    材木は巨木の杉などの各種貴重材が多数ある。他にも槻木、香木、柏子木、甘湯木(モチノキ)などを産出する。
    →「他にも」は変です。同じ材木の話ですから。


    輸出は海藻が主であるが、材木やたまに服もある。
    The goods they ship out is mainly seaweed, but also lumber, and occasionally clothes (其 載出하는 物品은 海菜가 居多하고 板木 間或 裝 運하더라).

    →「服」は違うと思います。
    日用雑貨や工業品は全面的に輸入しているわけで、一次産品しか輸出はできないと思います。「間或裝運」の「裝」は別の字かもしれませんが、読めません。


    全島各地から伐採された材木が対価を払われることなく船に積載されてていく。
    Besides beans and barley, the exported goods include wood that is cut indiscriminately from all over the mountain, loaded onto ships, and carried away--the price is insufficient (其輸出品은 豆麥外에 満山材木을 亂斫鋸削하야 船隻에 載往하는者--其値가 不實하고).

    →上記のとおり、ここは重要です。
    前回のコメントの最後のところをご参照ください。



    日本人が計画的に居住地を作り、200名ほどが現地で生活している。
    There are places on the island where about 200 Japanese have built houses and are living temporarily (本嶋中에 築室旅居하는 日本人이 二百餘名인되).

    →これも前回のコメントをご参照ください。
    あるところに固まって日本人が住んでいたわけではなく、かなり広い範囲にいたんだろうと思います。ここは、ただ、島全体に200人、というほうが良いとおもいます。



    現地民に浸透し、適切で無い関係を築いている。
    They encroach on the locals and have inappropriate relations
    (土民을 侵凌하야 相関하는 弊가 有하어라).

    →「適切で無い関係」は、思わず、モニカ・ルインスキーを思い出しましたが、
    「関」の字が違うのかもしれませんね。
    「住民の生活を犯し、上に述べたのと同じような弊害がある」ぐらいでしょうか?
    よくわかりません。



    島監が海藻の10分の1、材木は100分の1を徴集している。
    but, the island supervisor is collecting one-tenth of the seaweed (但 嶋監이 海菜에는 十分의一을 徵하고) and a wood charge of 100 ryang per ship (木料에는 毎船一隻에 葉一百 兩을 徴하여).

    → 材木は、船一隻あたり、葉一百兩
    船単位の課税のようです。(当時、「葉銭」というのが、ありませんでしたっけ)


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    以上、実にこまごまと書いてしまいましたが、多分、これが初の日本語訳であり(英語も初?)原文を参照せずにこのサイトから引用される方も出てくるかともと思いますので、書いてみました。



    PS.
    日本語にしていただいて、冒頭のGerryさんの論文をあらためて読み直して面白かったです。

    GTOMRさんがかつて同じ説をおっしゃっていたのを最近見つけましたが、この説をさらに詳細に発展させたことになりますね。
    http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1925916
     

    ReplyDelete
  4. matsuさん

    沢山ご指摘頂き、ありがとうございました。加筆修正しました。また何かお気づきでしたら、お知らせ下さい。

    以前はそんな事は無かったので、ここで投稿してから皆で検討しながら修正して行くのが通例だったのですが、気がつけば最近、他所にて引用されることも少なからずあるようです。出来るだけ間違いの(少?)ないようにする責任を感じています。GTOMRさん、chaamieyさん、そしてmatsuさんが参加してくださるようになって本当にありがたいです。韓国サイドの方ももっと参加してくださるといいのですが、歴史資料に対する姿勢が随分違うようで、残念です。GTOMRさんは慧眼の士だと思いますので、彼のサイトもとても期待しています。地図に関しては、特に素晴らしいです。

    ReplyDelete
  5. ...to promise to set a date to remove the Japanese trespassing on the island (該嶋에 潜越한 日本人을 訂期刷還하고) and stop and prohibit the stuggling trade from non-trade ports. (不通商港口*密輸買賣함을 禁戢케하라하였더라).

    の訳ですが、「不法滞在の日本人を該島から退去させる日にちを決め、貿易港以外の港からの密輸入を禁止させるよう約束させる」として見ましたが、如何でしょう。

    ReplyDelete

Note: Only a member of this blog may post a comment.